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ラクホン大学 東洋学部 ----[ \---- 大学生の学科的な研究 アウトライン テーマ: 紫式部の源氏物語を学ぶ 研究大学生: 指導先生: ĐOÀN THỊ NHƯ ANH PGS.TS. ĐOÀN LÊ GIANG BIÊN HÒA, THÁNG 12/2010 お礼 初めに、タクホン大学の東洋学部の先生たちにお礼をお話いたします。今 まで、私のために、さまざまな条件を作って、親切に教えてくださいましてい ます。 特に、私の心から、ドアン.レー.ジャン指導先生及びに日本人の飛田先 生にお礼をお話いたします。研究している時には先生が論文に関するいろいろ な資料や知識を真面目に説明して、教えてくださいました。とてもお忙しいの に、時間を作って、論文の間違い所を指摘してくださいまして、それで、論文 を完成できました。 さらに、友達に本当どうもありがとうございます。私のが論文できるため に、いろいろな貴い意見を教えてくれて、勉強した時も研究したときも友達が よく応援して、助けてくれました。 また、物質的や精神的に手伝ってくれた家族全員が多くの動力で研究して いた困難でも乗り越えられました。 最後、本当にどうもありがとうございました。 ビエンホア、二千十年十月 目次 A. はじめに ..................................................................................................................... 1 1. テーマを選んだ理由.................................................................................... 1 2. テーマ研究の歴史 ........................................................................................ 2 3. 目標と研究範囲 ............................................................................................ 3 4. 研究方法 ........................................................................................................ 3 5. テーマの研究貢献 ........................................................................................ 3 6. テーマの構造: 第四章があり .................................................................. 4 B.内容部........................................................................................................................... 5 第一章: 平安時代と源氏物語の生まれる.................................................................... 5 1.1 平安時代(794 – 1192) ................................................................................. 5 1.1.1 歴史と社会 ........................................................................................... 5 1.1.2 宗教と習慣 ........................................................................................... 7 1.1.3 文学の発達............................................................................................ 9 1.2 源氏物語 .................................................................................................... 10 1.2.1 紫式部作者 ......................................................................................... 10 1.2.2 源氏物語の概要 ................................................................................. 11 第二章: 源氏主役と十妻宇治での人物...................................................................... 17 2.1 (初めの第三十三章で)源氏と恋人たち............................................ 17 2.1.1 源氏の性格 ......................................................................................... 17 2.1.2 源氏主役に影響がある女性 ............................................................. 17 2.2 (次の章八で)源氏の終わり................................................................ 23 2.2.1 過去の誤ることに後悔 ..................................................................... 23 2.2.2 悲しく病死 ......................................................................................... 25 2.3 (終わりの章九で)源氏の子孫............................................................ 26 第三章: 源氏物語に哀れ .............................................................................................. 28 3.1. 人物の命の前の哀れ............................................................................... 28 3.1.1 人物の亡くした時間の哀れ ............................................................. 28 3.1.2 美しさの無常の前に哀れ ................................................................. 30 3.2 美しい自然の前の哀れ............................................................................ 31 第四章: 述懐芸術 .......................................................................................................... 34 C. 結論 ........................................................................................................................... 38 参照資料 ........................................................................................................................ 40 付録......................................................................................................................41 1 A. はじめに 1. テーマを選んだ理由 日本は四つの季節の変化に従い美しい風景がある国であると考えら れている。桜の花がある春は南から北まで徐々に咲く、夏の緑の葉を付 けた木、秋の紅葉は北から南まで真紅を浮かぶ、冬は真っ白な雪に覆わ れている。日本といえば武士道精神、生け花、茶道、盆栽、剣道、歌舞 伎。。。などが伝統的文化として思い浮かぶ。また、平野の間に日本の 最も高い山富士山があり、雪に山頂の周りを覆われている。これこそ芸 術家のインスピレーションの起源である。日本の文化は世界文化の最も 高い文化の十リストに承認した。上記の誇る文化以外、日本の文学があ る。 日本の文学の歴史では平安時代に万葉集をはじめとする詩歌、源氏 物語をはじめとする小説などがあらわせている。源氏物語は 11 世紀から の世界で最初の小説と考えられている。これこそ私が日本の文学で最も 興味を持つ小説である。この小説を調べるのはいい物語を読むだけでは なく、今日まで存在する習慣、人間、美しい自然、伝統文化などを理解 する助けになる。 この研究はストーリの中での隆盛な日本、現代の生活の中で二次世 界大戦後の奇跡的な経済について世界を称賛させた日本について理解を 促すためにされた。自然の課題を克服する高い精神は日本のみのものだ と考える。 私は文学を愛好し.強い関心を持ったのでこのテーマを選びました。 さらに、日本語学科で勉強しているみんなの役に立つことを期待する。 日本語学科は日本の言語について学ぶだけではなく、その国の一般的な 知識も持っていなければいけならない。今、私が特に興味を持っている 分野は日本文学である。 2 2. テーマ研究の歴史 二十世紀初頭、多くの日本人作家が翻訳者として「源氏物語」と いう日本の古典文学を翻訳しました。そして、谷崎潤一郎と瀬戸内寂聴 の翻訳版を含みます。最も一般的な訳文はおそらく 1978 年からの講談社 のポケットサイズです。この訳文は 7 冊、A6 判用紙の小さい字で 3500 ページですべてを含んでいます、そして(1910-1976)今泉忠義博士によ ってすべての訳文が翻訳された。 源氏物語はアーサーウェイリー(イギリス)、エドワードサイデン ステッカー(アメリカ)ルネシフェール(フランス)などの翻訳者の努 力によっていつくかの言語に翻訳された。 源氏物語の英語での訳文版は主に日本古典文学大系の文書に基づい て岩波徳兵によって発行された日本古典作品を含む。山地氏徳兵教授は 編集するため 12 世紀から 13 世紀初頭までの詩人藤原定家.偉大な学者 の研究の青表紙(緑本)の中に室町時代の原稿を利用した。また、玉上 卓也教授の源氏物語評釈と 2/3 出版された小学館作品という他の二つの 文書も参考された。この二つの参考版は青表紙の原稿に基づいて翻訳さ れた。これらの両方の参照版は青表紙という手で書く草案版に基づいて 翻訳される。三つの現在日本語翻訳版(女性の詩人与謝野晶子、作家谷 崎潤一郎、作家円地文子)も参照された。 ベトナム語で作家紫式部の源氏物語翻訳版はハノイで 1991 年に社会 科学出版社によって出版されました。これは英語翻訳版から翻訳されま した。そして翻訳者の名前を書かなかった。出版責任者:グエン.ドウッ ク.ドウー;編集:グエン.クー。ベトナム語訳文版にかいてあった導入 の言葉は英語訳文版の導入言葉から翻訳されました。この英語訳文版は 1976 年 1 月にエドワードサイデンステッカーによって翻訳されました。 日本のミラーや 1868 年初めから日本文学という本をかいた日照作家です。 日本文学の歴史という本を書いた作家加藤修一です。全体的に、作家は 時代、著者、原稿、翻訳版、について学ぶとか、作品を比較する。つま 3 り、私が学ぶテーマは話の広い面を学ぶ、人物の分析、話の内容的な価 値、芸術的な価値を達成したか学ぶ。 3. 目標と研究範囲 論文の目的はストーリーの内容及び芸術の価値をはっきりさせるた めに関係を分析することである。そしてストーリーの影響を調べる。主 に研究する対象は「源氏物語」というベトナム語訳文である。これはグ エン.ドーク.ヂーエディターによって出版された。また、日本語資料 を参照した。 4. 研究方法 効果を達成するため、作品の歴史を調べるという研究方法を利用し ます;ストーリーの価値を分析及び調べるという記述研究;ストーリー の研究歴史に従ってストーリーを研究評価する。 5. テーマの研究貢献 「紫式部の源氏物語」というテーマは作家、翻訳者によって総合的 に研究された。 ラクホン大学で私はこの話について調べる最初の人である。この論 文は小説本を読むのが好きで、文学について興味を持つ次の日本語学科 で勉強する人にとっての研究資料である。同時にこのテーマを通して東 洋学部の学生は言語ばかりでなく、歴史、文化、文学に関しても学んで ください。それを自分の第 2 の国のように見てください。東洋学部で勉 強することは言語だけを勉強するセンターと決定的な違いがある。日本 学科について習うときは言語ばかりでなく、ほかの分野をたくさん学ば ざるを得ない。これらは日本人と接触するときの将来の仕事に役に立つ。 日本といえば特徴的文化、陰陽五行説の色のたくさん料理、時間が厳し い、自分の威信を確認する集団、俳句という一番短い詩及び源氏物語と いう一番長い小説を生んだ文学の国である。 4 6. テーマの構造: 第四章があり 第一章: 平安時代と源氏物語の生まれる 第二章: 源氏主役と十妻宇治での人物 第三章: 源氏物語に哀れ 第四章: 述懐芸術 5 B.内容部 第一章 平安時代と源氏物語の生まれる 1.1 平安時代(794 – 1192) 1.1.1 歴史と社会 七百九十四年に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから、鎌倉幕 府の成立までの約三百九十年間を指す日本の歴史の時代区分の一つ。京 都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上唯一の中心であ ったことから平安時代と称する。 平安時期は、前代(奈良時代)からの中央集権的な律令政治を、部分 的な修正を加えながらも、基本的には継承していった。しかし、律令制 と現実の乖離が大きくなっていき、九世紀末~十世紀初頭ごろ、政府は 税収を確保するため、律令制の基本だった人別支配体制を改め、土地を 対象に課税する支配体制へと大きく方針転換した。この方針転換は、民 間の有力者に権限を委譲してこれを現地赴任の筆頭国司(受領)が統括 することにより新たな支配体制を構築するものであり、これを王朝国家 体制という。 小美町国家体制の下では、国家から土地経営や人民支配の権限を委 譲された有力百姓(田堵.名主)層の成長が見られ、彼らの統制の必要 からこの権限委譲と並行して、国家から軍事警察権を委譲された軍事貴 族層や武芸専門の下級官人層もまた、武士として成長していった。国家 権限の委譲とこれによる中央集権の過大な負担の軽減により、中央政界 では政治が安定し、官職が特定の家業を担う家系に世襲される家職化が 進み、貴族の最上位では摂関家が確立し、中流貴族に固定した階層は中 央においては受領となって地方行政を担った(平安貴族)。この時期は 摂関家による摂関政治が展開し、特定の専門が独占的に徴税権を得る荘 6 園が、時代の節目ごとに段階的に増加し、受領が徴税権を担う公領と勢 力を二分していった。 平安時代初期は天皇の強い政権により国と人々が支配されていまし た。貴族が地位の高い官職につく場合、彼らは秀でた文学者、天皇の外 戚、もしくは優れた政治的能力がなければなりませんでした。そして朝 廷内での権力争いから貴族は他の貴族に対して陰謀を企てることがしば しば起こりました。今日では学問の神様として有名な菅原道真も陰謀に よって大宰府に左遷されたうちの一人である。彼は優れた文人でもあり 学者でもあったことから右大臣という官職を得ることができた。しかし 彼は藤原時平によって無実の罪を着せられ、九州にある大宰府に左遷さ れる。道真は醍醐天皇に無実を訴えますが醍醐天皇は道真を信じなかっ た。そして道真の死後、彼に無実の罪を着せた藤原時平とその陰謀に加 担した人物が道真の祟りにより命を落としたとなっている。藤原氏は天 皇の外戚になり朝廷での地位を確立する。そして摂関としての地位を独 占した。しかし時が経ち平安時代後期にはその政権は平氏の手に移る。 平氏は朝廷でのほとんどの官職を独占し、支配し始めた。平氏は藤原氏 が行ったように彼らの娘を天皇と結婚させ、次期天皇の外戚となった。 平氏は宋王朝との貿易を重視し、その利益を平氏の基盤としていた。多 くの貴族が官職から退けられ、平氏が官職を独占するという行き過ぎた 行動が目立ち始める。これにより平氏への反発が強くなり、平氏の没落 を導いた。平安時代も他の時代に見られるように、初期には天皇の強い 政権がみられ、中期から後期にかけては貴族によって政治が支配されて くる。 十一世紀後期からは上皇が治天の君(事実上の君主)となって政務 に当たる院政が開始された。院政の開始をもって中世の開始とする見解 が有力である。院政期には荘園の一円領域的な集積と国衙領(公領)の 徴税単位化が進み、荘園公領制と呼ばれる体制へ移行することとなる。 十二世紀中期ごろには貴族社会内部の紛争が武力で解決されるようにな 7 り、そのために動員された武士の地位が急速に上昇した。こうした中で 最初の武家政権である平氏政権が登場するが、この時期の社会矛盾を一 手に引き受けたため、程なくして同時多発的に全国に拡大した内乱によ り崩壊してしまう。平氏政権の崩壊とともに、中央政府である朝廷とは 別個に、内乱を収拾して東国の支配権を得た鎌倉幕府が登場し、平安時 代は幕を下ろした。 桓武天皇以降、天皇の政権は強く周りの貴族が天皇以上の力を持ち 始めることはなかったが、時が過ぎ貴族が力を伸ばし朝廷内での官職を 獲得のため他の貴族たちと権力争いを始める。藤原氏と平安は平安時代 に天皇の外戚となることにより力を伸ばす。藤原氏は平安時代中期に栄 え、平氏は後期に栄える。平氏は貴族ではありませんが天皇の出身であ る。平氏は安徳天皇の母方の外戚となり朝廷での地位を独占したが、平 氏によって地位を追われた貴族たちは平氏に反感を抱く。平氏に対する 反感は増加し、源頼朝によって起こされた平氏追討により平氏は没落す る。平安時代の文化の特徴は大陸からの唐分化を消化.吸収し、その文 化が日本文化と融合したことである。平安時代の貴族の生活は優雅であ り豪華のようにも思われますがその生活の背後には陰謀も渦巻いていた。 1.1.2 宗教と習慣 その後これら寺院群は政治に口を出すようになった。桓武天皇は、彼らの 影響力を弱めるために平安京に遷都し、空海及び最澄を遣唐使とともに中国に 送り出し、密教を学ばせた。新しい仏教をもって、奈良の旧仏教に対抗させよ うとしたのである。最澄(天台宗)、空海(真言宗)には、それぞれ比叡山と 高野山を与えて寺を開かせ、密教を広めさせた。平安時代中期は釈迦入滅の二 千年後に当たる。正法の千年.像法の千年の後、仏教が滅びる暗悪時代、すな わち末法の世が始まったと考えられた。末法の世にはどんなに努力しても誰も 悟りを得ることができない。国が衰える人々の心も荒み、現世での幸福も期待 できない。このような人々の状況から、ひたすら来世の幸せを願う浄土信仰が 流行した。貴族も阿弥陀仏にすがり、極楽浄土に迎えられることを願って来迎 8 図などを盛んに描かせ、その究極として宇治の他に平等院を建立した。その鳳 凰堂の姿形は、正に極楽の阿弥陀仏の宮殿(くうでん)を模したものである。 だが、平安時代末期に入ると社会不安が増大し、広大な所領の持ち主であり裕 福であった大寺院は盗賊などに狙われる危険性が高くなった。そこでこうした 外部からの侵入者から防衛するために僧侶や信徒が武装したのが僧兵である。 だが、次第に僧兵そのものが勢力拡大のための武装集団と化し、対立宗派.寺 院への攻撃や朝廷への強訴などの武力行使を行うしゅうだんとして社会の不安 要素の一つなっていった。また、寺院内に石垣や堀を巡らせるなどの一種の城 塞化を進める寺院も現れた。 平安時代の文化の特徴は大陸からきた唐文化の消化.吸収、そして日本文 化と文化を融合した新たな文化の発展である。平安時代中期には文字を使うこ とにより文学が発達した。音楽も平安時代の早い時期に栄える。仏教では新し い宗派の天台宗と真言宗が二人僧によって伝えられたのもこの平安時代であっ た。 唐文かの影響は貴族が住んでいた家などにも見られる。たとえば、建物の 廊下でつないでいる中国の建築物の形が日本の当時の貴族の邸宅にも用いられ た。しかし全てを唐王朝の建物の様にしたわけではなく、家の形や仕切りなど は中国の建物とは異なりました。この時代の貴族の家は主に寝殿造りである。 寝殿造りとは建物の南向きを中心として南には池があり、そして西、東、北の 建物を廊下でつなぎ、その建物は寝殿を中心として左右対称に建てられている。 中国絵の技法を用いて日本の風景を描いた大和絵ができたのもこの時代でした。 そしてこのような絵は部屋の仕切りとして使われた屏風や襖などに描かれた。 この当時の貴族は寝殿造りの邸宅に住みました。十二単は礼装として貴族 の女性や女房などに着られていましたが、とても重かったため歩くのが困難だ ったようです。着物の着付けを教えている、ある講師の方によると、十二単を 着ている女性は衣があまりにも重いため、部屋の中ではひざで歩き、座るとき は方ひざを立てて座っていたそうです。貴族の男性は礼装として束帯を着てい ました。これらの衣服の基本は唐王朝で着られていた衣服がもとですが、その デザインを大きく変えてできたのがこれらの衣服でした。貴族は毎日このよう な格好をしていたわけではなく、貴族の女性や女房は普段着として直衣または 9 水干を用いたようです。衣の色は重視され季節や状況などにあわせて選ばれた ようです。 食事においては一日二回が普通でした。そして仏教の影響が強く、彼らが 食べたものは野菜、米、鶏肉、海産物が主でした。料理はつくる過程上で味付 けされるのではなく食べる前に塩や酢、そして他の調味料で味付けされました。 資料によると、貴族の平均寿命は短く、その原因は栄養バランスが悪い食事、 運動不足、室内中心の生活が原因だったと書かれています。そしてまた、都に いる貴族ものが収穫される場所や魚が取れる場所から離れていたため新鮮な魚 などを得ることができませんでした。一方で、庶民の食生活は質素でしたが、 食事に対して仏教の影響なく、新鮮なものを食べ、バランスが取れていたため、 かれらは貴族よりも健康的だったようです。 1.1.3 文学の発達 三つの文字の形が日本では使われている。これらはそれぞれ平仮名、カタ カナ、漢字とよばれ、漢字は古代にあった中国王朝から稲作と道具技術の伝来 と同時にもたらされた。上流階級の人々は文字を外交、記録、他国からの文学 の勉強のために使った。そして読み書きができたのは殆どが男性であった。漢 字は中国から伝来したものであるが、全ての漢字が中国から来たのではなく、 その一部は日本人によっても作られた。平仮名とカタカナは平安時代に作られ、 上記でも述べたように平仮名は漢字を簡略化して作られたもので、女性たちに よって頻繁に使われた。カタカナは漢字をより簡略化したもので僧たちにより 中国から来た経典を読むために作られた。 平安時代の人々は文字を使って彼らの感情を詩に書き残りため本や百人一 首などに載っている多くの歌は平安時代からのものである。短歌は多くの人々 に親しまれるが、貴族や僧によってもっとも多くの短歌が残された。僧は自然 や生活、そして世界について語り、貴族は自然、生活、世界、恋愛などについ て語っている。貴族は短歌で遊び、そして手紙のように短歌のやり取りなども あった。しかし全ての人が短歌を得意としたわけでなく、すばらしい短歌を書 いた人々は歴史的に名前が残っている。短歌はいま現在も人々に親しまれてい るが、手紙として書かれているのではなく、一つの趣味として楽しまれている。 10 平安時代に貴族の間で文学が発達した背景には女性の活躍も多く見られる。 資料によると、漢字から作られた平仮名は女性に使われ、漢字をより簡略化し たカタカナは僧によって使われた。男性以外が漢字を使うことはあまりよく思 われていませんでしたが、宮中に上がる女性には高い教養が求められた。女性 が平仮名を使うことにより短歌や物語、そして日記を書き始め、数々の作品が この時代に生まれた。漢字を使う男性に引けをとらない才女として有名だった 枕草子の作者である清少納言である。そして紫式部によって書かれた源氏物語 は日本最古の長編物語でもある。源氏物語とは宮廷生活を舞台に主人公の光源 氏と彼の周りの人物を描いた物語である。自然などに対する感情は短歌として 書き残されたり、手紙のやり取りとしても短歌は使用された。 1.2 源氏物語 1.2.1 紫式部作者 紫式部の生年は九百七十三年ごろと言われますが、確実なことは分 からない。藤原北家の出で、藤原為時の娘で父は越前と越後の国守を歴 任した受領.中流貴族の藤原為時といい、生母は藤原為信の娘で、幼少の ころ死別したようである。同母の兄弟に藤原惟規がいる(同人の生年も 不明であり、式部とどちらが年長かについては両説が存在する)ほか、 姉の存在もしられる。 幼少の頃より当時の女性に求められる以上の才能で漢文を読みこな したなど、才女としての逸話が多いである。五十四章にわたる大作「源 氏物語」、宮仕え中の日記「紫式部日記」を著したというのが通説、歌 集「紫式部集」がつたえられる。父.為時は三十代に東宮の読書役を始 めとして東宮が花山天皇になると蔵人、式部大丞と出世したが花山天皇 が出家すると失職した。十年後、一条天皇に詩を奉じた結果、越前国の 受領となる。紫式部は娘時代の約二年を父の任国で過ごす。 結婚は二十七才位のときで、夫は藤原宣孝という二十歳も年上の人 であった。宣孝は自己顕示欲の強い派手な性格で、相当な色好みで妻も 11 三人おりました。二十八才で娘.賢子を産みますが、僅か三年で夫と死別 する。 夫の死後、時の最高権力者.藤原道長(九百六十六~千二十七)の娘 彰子の女房として宮仕えし、源氏物語の執筆を始めた。「紫式部日記」 には「一条天皇の中宮.彰子が敦盛親王を出産した御祝いとして献上され た本である。」と書かれている。紫式部は当時の女性としては珍しく漢 字の素養があり、宮仕えをして体験した宮中生活を女性の目を通して描 いたのでしょう。 源氏物語を書き上げた後の紫式部の消息はほとんど残っているが、 一人娘の賢子は後に御冷泉天皇の乳母となり、政府高官の典侍を経て、 遂には上流階級の従三位の位階まで昇りつめた。紫式部が生まれ育った 邸の跡が、今も京都に残っている。京都市右京区北之辺町にある庵山寺 の境内が邸跡とされている。紫式部が葬られたとされる墳墓は京都市北 区の紫野にある。堀川通りの陰にひっそり隠れた苔むす塚は、晩年の頼 りなさを伝えているようである。没年についても長和三年(千十四)と も寛仁三年(千十九)とも言われて、はっきり分かるが、四十二.三歳 の生涯だったとされている。 1.2.2 源氏物語の概要 源氏物語の内容は帝の御子でありながら源氏という臣下の身分に落 とされ、皇位継承権を失った皇子(光源氏)の王権復活の物語で、当時 の(平安時代)王朝貴族の華やかなりし時代を背景に語られている。そ の構成は大きく二部に分かれ、全ての五十四章からなります。 第一部...桐壺(第一章)~幻(第四十一章): 光源氏の出生から、 父帝の后.藤壺との蜜通そして懐妊、朱雀帝の姫(朧月夜)との蜜会発 覚による須磨への流離を経て、准太上天皇に復権するまでの栄華の物語 である。 12 女三宮の降嫁、女三宮と柏木の蜜通による不義の子(薫)の誕生、 紫上との死別など、光源氏の暗転の物語である。 第二部...匂宮(第四十二章)~ 夢浮橋(第五十四章): 薫を 中心に光源氏の孫.匂宮と宇治三姉妹の愛と葛藤の物語である。 光源氏は桐壺帝の第二皇子で、母は桐壺更衣です。幼少の頃から輝 くばかりの美貌と才能に恵まれ、光の君と綽名される。母は三歳のとき 亡くなりました。母に似る女性藤壺への思慕が初恋となり、その思い影 を求めて生涯様々な女性と関係を持つ。父桐壺帝は光る君を東宮(皇太 子)とすることを考えたが、実家の後援がないことを危ぶみ、また光る 君が帝位につけば国は乱れると高麗人に予言されたこともあり、臣籍降 下させ源氏の姓を与えた。 源氏は元服し、左大臣の姫君(葵上)と結婚した。一方、葵上の兄 蔵人の少将は右大臣の四の君と結婚する。二人は生涯、ライバルの関係 となる。気位の高い葵上に親しみを持てない源氏は、亡き母のおもいか げの通う美しい藤壺の女御を一途に思慕する。母親の邸宅を改修して、 二条院という源氏の私邸が完成する。 五月雨が降り続くころ、宮中の源氏の宿直所に頭の中将(葵の上の 兄).左馬頭.式部の丞の三人が集まって、源氏と女性論や体験談を語 り合う(雨夜の品定め)。翌日の晩、源氏は方違えで中川の家に泊まり、 伊予の介の若き後妻である空蝉に会う。後日、中川の家を訪れた源氏は、 空蝉の部屋に忍んだが、空蝉は気付いて部屋を抜け出してしまう。 六条の御息所に通う途中、源氏は夕顔の咲く家の女性(夕顔)を知 る。素性を隠して通ううち、荒れ果てた某の院に夕顔を伴って行った夜、 夕顔は物の怪に襲われて急死する。夕顔は以前、頭の中将が通った「常 夏の女」で、二人の間には娘(玉鬘)がいたが、頭の中将はこの母子の 行方を捜していた。 13 源氏は「わらわ病み」の加持のために桜咲く北山に聖を訪ねた時、 藤壺の女御によく似た少女(紫の上)を見いだす。少女は兵部卿の宮 (藤壺の兄)の姫君で、母に死別した後、祖母の依尼君と暮らしていた。 帰京した源氏は、王の命婦(藤壺の侍女)の手引きで、三条の宮に里下 がりしていた藤壺と契る。藤壺は懐妊し、源氏も夢占いでこの事実を悟 る。北山の尼君は帰京後世を去り、少女はひとり残された。源氏は少女 を二条院に迎え取る。 夕顔の死後、故常陸の宮の姫君(末摘花)が寂しく生活しているこ とを源氏は聞いて関心をいだく。大輔の命婦(源氏の乳母の娘)の手引 きで源氏は末摘花に会ったが、ものを言わない彼女を源氏は気に入らな い。雪の夜、紅花のような彼女の赤い鼻の先を見て驚くが、その貧困と 誠実さに同情して源氏は彼女の世話をする。 一○月の朱雀院への桐壺帝の行幸を前に、懐妊中の藤壺のために試 楽(予行演習)が催された。源氏は頭の中将と共に青海波を舞って、 人々に注目された。行幸の当日、紅葉をかざして舞う源氏はいちだんと 素晴らしく、源氏は正三位を腸った。翌年二月過ぎ、藤壺は皇子(冷泉 帝)を出産した。何も知らず喜ぶ帝を前にして源氏と藤壺とは慄然とす る。七月、藤壺は中宮に、源氏は参議に昇進する。 紫宸殿の花の宴(観桜会)の夜、源氏は朧月夜に会い、あわただし い一夜を明かす。彼女は、右大臣家の六の君で弘徽殿の女御の妹であり、 春宮(朱雀帝)への入内が決まっていた。 桐壺帝が譲位し、朱雀帝が即位する。藤壺中宮の若宮が春宮(皇太 子)となる。加茂の新斎院(女三の宮…朱雀帝の同母妹)の御祓の日、見物 に来た六条の御息所と葵の上の一行は見物位置をめぐって車争いをし、 六条の御息所の車はさんざんに乱暴を受け、誇りを傷つけられた御息所 はこれを深く恨んだ。懐妊した葵の上は、六条の御息所の物の怪に取り 憑かれて悩むが男子(夕霧)を出産し、その後急逝する。四十九日の服喪の 後、源氏は二条院にもどって紫の上と結婚する。 14 六条の御息所は娘の斎宮とともに伊勢に下ることになり、源氏は野 の宮に赴いて慰留するが、むなしく去る。桐壺院の病状は俄に改まり、 二月崩御。朧月夜は尚侍となり、弘徽殿に住んだ。朝顔の姫君が斎院と なった。ある日、源氏は藤壺のもとに忍び、その思いを述べたが、政情 の緊迫に春宮の身を案じた藤壺は、源氏を近づけぬため、桐壺院の一周 忌に法華八講を行い、出家する。右大臣家の権勢はめざましく、桐壺院 の死後、政治状況は一変して、源氏方には冬の時代が訪れていた。翌年 夏、さと下がりした朧月夜のもとに忍んだ源氏は右大臣に発見され、弘 徽殿の女御たちは源氏失脚の策謀をめぐらす。源氏は故桐壺院の麗景殿 の女御を訪問し、その妹の花散里と会う。 兄の朱雀帝即位後、その外戚である右大臣.弘徽殿女御派の圧力や 尚侍となっていた朧月夜との醜聞もあって須磨、後に明石へ隠退。この 時、明石の御方と結ばれ、後の明石の中宮となる姫君が誕生する。帰京 後は即位した冷泉帝の後見として復帰、秋子中宮を養女迎えて冷泉帝の 后とした。その後、太政大臣となった源氏は、その栄華の象徴ともなる 広大な四町の邸宅.六条院を造営した。西南の秋の町(六条御息所の旧 邸)は秋子中宮の里邸に、自らは東南の春の町に紫の上や明石の姫君と 住んだ。また東北の夏の町には花散里を(後に玉鬘もここに迎えられ た)、西北の冬の町には明石の君を配し、さらに二条東院にもかつての 恋人たちを引き取って世話をした。 四十歳を迎えたのを機に、冷泉帝より准太上天皇の待遇を受ける。 栄華の絶頂に至った源氏だったが、兄朱雀院の出家に際し、源氏の正室 にふさわしい高貴で有力な後見する妻がいないにかこつけて、内親王の 庇護者にと姪.女三宮の降嫁を打診される。藤壺亡き後も今尚彼女への 思いおさえがたく、女三宮が紫の上同様に藤壺の姪であることにも心動 かされた源氏は、これを断る事ができなかった。しかし結婚してみれば ただ幼いだけの女三宮に源氏は失望し、また女三宮降嫁に衝撃を受けた 紫の上も苦悩の末病に倒れて、六条院の栄華にも次第に影が射し始めた。 15 やがて、源氏自身がかつて父桐壺帝を裏切ったように、女三宮の密 通が発覚する。一度は女三宮とその恋人の柏木に怒りをつのらせた源氏 であったが、生まれた子供(薫)を見て、これが若い日の罪の報いであ ったことに気付かされ(因果応報)。 その後女三宮の出家と柏木の死でさすがに怒りも和らぎ、また亡き 父帝も源氏の過ちを悟っていながら咎めなかったのではないかと思いを 馳せて、源氏は生まれた子の秘密を誰にもいわず自分の子として育てり ことなった。最愛の紫の上の死後は嵯峨に隠退して二、三年出家生活を 送った後に死去したことが、後に「宿木」で述べられる。なお出家から 死までは作中には描かれず、本文の存在しない「雲隠」が源氏の死を暗 示するのみであるとも、また本文は失われたとも言われる。 源氏が亡くなって後、その面影をしのばせる人は、薫(母、女三の 宮)と匂の宮(母、明石中宮)のわずか二人だけであった。薫は自分の出生 の秘密を感じて一人苦悩している。源氏の第宮(八の宮)は宇治の山荘に隠 棲し、大君.中の君の姉妹を育ていた。薫は二十歳の時、八の宮に親し み、仏の道を学ぶためにしばしば宇治に通うようになる。ここで薫は自 分の出生の秘密を柏木の乳母(弁の君)から教えてられる。薫は大君に 求婚するが、大君は父親の遺言を守って独身で一生を終わる決意をして おり応じようとはしない。大君は薫が妹の中の君と結婚することを望ん でいる。薫は自分の代わりに今上帝の三の宮である匂の宮を中の君と結 婚させる。大君は落胆し、妹の結婚の行方を心配しつつ大君は心労のあ まり薫に見守られながら亡くなる。薫が訪問して中の君と親しく話をし ていると、匂の宮は二人の親しさに不安を感じる。 匂の宮と夕霧の六の君とが結婚する。薫は女二の宮と結婚する。薫 は中の君から大君によく似た異母妹浮舟のことを耳にして心引かれる。 中の君は浮舟を預かるが、匂の宮は浮舟に関心をいだく。これを聞いた 薫は浮舟を三条の小家に隠し、さらに宇治に連れ去った。浮舟の所在を 探り当てた匂の宮は、薫をよそおって浮船と契る。二人の秘密を薫は知 16 る。二人の男性の間で煩悶の末、浮船は宇治川に身を投げる決意をし、 失踪する。横川の僧都は浮舟を発見して、僧都の母の尼君は小野へ連れ 帰って介抱する。薫は、死んだものと思っていた浮舟の生存を僧都から 伝え聞く。薫はすべてを許す旨の手紙を子君(浮舟の弟)に届けさせるが、 浮舟は面会をこばみ、音沙汰もない。浮舟を誰かが隠しているのではな いかと、薫は疑いを抱く。[4]
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